自然を捉えるときにやってはいけないこと
捉えどころのない自然を捉える時に自分が実践している事を今日は書いてみたいと思う
雪崩がわからなかった日々
雪崩管理を本格的な仕事として始めたのは8年前の栂池高原スキー場で
当時はNPO法人に所属していて、雪崩管理の任についていた。
右も左もわからないまま、とりあえず爆薬の使用するために名古屋に飛んで発破技師の資格を習得してきた(多分テストは100点満点だったと思う笑)
雪崩管理をする時によく勘違いされるのが爆薬を使用して雪崩を処理していると思われがちだが
スキーカットと言って、自分達が滑ることで雪面に衝撃を与えて雪崩を発生させる手段を講じる事の方が多いように思う
爆薬は爆薬でメリットデメリットがあって、直接自分達が雪崩が発生する斜面に入る事なく、誰にでも(資格所有者)雪崩を発生させられるというのが最大のメリットでデメリットとしては1回使用する毎に時間がかかってしまうと言うことととにかく危険だと言うこと、取り扱いを間違って炸裂した場合は自分達の命が危険に晒されるため、爆薬の使用は必要最低限に抑えたいと言うのが自分の考え方である。
スキーカットのメリットとしては爆薬使用に比べてのスピード、足裏で雪崩を切る感覚を身に付けられる事だと思う
デメリットとしては誰にでも出来ないという事(スキーの技術、雪崩の発生を見極める技術が求められる)と生身で雪崩が発生する斜面に入っていかないといけないという事だろうか
話は栂池時代に戻るが
初年度なんて、雪崩はわからないわ、爆薬取り扱うの怖いわで散々だったわけですよ。
最初は雪崩を見た事がないから発生区を見極められないので、どこに爆薬を仕掛ければいいのか?
どの位置にどの方向でどのくらいの強さでスキーカットを仕掛ければいいのかわからず。
降雪量や堆積した雪の量からどの程度の雪崩が発生して、どのくらいの速度で、どこまで破断してくるのか見えなかったわけですよ。
じゃぁどうやってそれを克服していったのかと言うと先輩の所作を見たり「雪崩を見る」事で学ぶしか無かったわけです。
最初は感覚そして予測へ
始めた当初は雪崩に対する知識ベースがないので先輩達の見よう見まねで自分でやったらどうなるんだろう?こうやったらどうなるんだろう?と検証を繰り返していくしか無かった。
繰り返し、雪崩を見て、管理を行なっていくうちに見えてきたのが雪崩の発生区
あぁこういう斜面で雪崩は発生するのかと言うのが分かってくるようになってきた。
そうすると管理前に自分が予測した様な雪崩が発生する時も出てきた(最初の数年は外す事の方が多かった)
その経験が重なってくるとガッツポーズもので捉えどころのない自然(雪崩)を理解した様な掴めたような気持ちになってくる
特に栂池の初年度は豪雪のシーズンであったため、雪崩を見た本数で言えば、今までで1番多かったように記憶している
そこから数年栂池で雪崩管理を行うことになるその先に行き着いたスタイルは
斜面に入ってみて出るか出ないか白黒付ける方式の雪崩管理
降雪があったり、風が吹いた日はとりあえず雪崩管理に入る事で、確認作業を行なっていた。
雪崩が発生するだろうなと予測は出来ても、規模感やどこでの発生するか(ピンポイント)までの細かい予測は出来ていなかった。
その管理の方法も間違っているとは思っていなくて、ある程度のバラメーターを引いて雪崩管理を行なっていれば
確実性があるので、誰でも行うことができるし、人間の主観(感覚)での判断では無くなるため、人的ミスの項目を一つ潰す事が出来る。
もう少し分かり易く書くと八方で言うと20cm以上の降雪予想が付いている時は翌朝雪崩管理に入るための体制を取るようにしている(降雪が無くても風が吹けば雪崩が発生する事があるのでその限りではない、バロメーターは各スキー場毎に設けられているものだと思う)
予測の1歩先へ
ある程度の雪崩管理の体制を作ることが出来た栂池時代
活動の場を八方へと移した事で困った事が起こった。
栂池ではスペシャリスト達に囲まれていたので、仲間の行動で悩まされる事は無かったし、各自の判断が付いたので阿吽の呼吸で作業をこなすことが出来たし、何より判断を頼り委ねる事が出来た。
八方にきたことで雪崩に関する一切の判断は私に委ねられる事となった。(八方のメンバーを馬鹿にはしていない事実を書いているだけ)
そうすると斜面に入ってみないと白黒付けられない雪崩管理を行っていた自分のやり方では予測精度が低いため
色々と困りごとが起こってくるわけですよ。
出ないと思っていた雪崩が出たり、出ると思っていた雪崩が出なかったりそう言うのの繰り返しにこれは無駄に仲間を危険に晒しているだけでまずいなと思うようになった
状況を打破するために1番最初に考えたのは
予測精度の向上
予測の精度を上げるために何をしたらいいのか?
雪崩がどういう気象条件の時に発生しているか探る事から始めた。
(幸い八方尾根スキー場にはlogicalworksさんが設置してくれている高性能な観測機があった)
雪崩管理に入り、雪崩が発生した日は破断面調査を欠かさず行い
気象観測機のデータと照らし合わせてどういう気象条件下で雪崩が発生しているのかデータを集め始めた。
データが貯まることで雪崩の発生に法則性が見えてきて
この降雪量でこの風速だったらこう言う雪崩がこの場所で出るんじゃないか?と言う仮説が生まれてきた。
仮説が生まれると人は検証してみたくなるもので
次の降雪のサイクルの時にこういう雪崩がこの場所で発生するだろうという予測を立てるようになった。
予測を立てて外れる日もあれば、当たる日も多くなってきたように思う。
ここで重要なのは当たり外れを一喜一憂する事ではなく、予測精度を向上するために外れてもいいから
予測を口に出して周りに伝えるということ
予測したものが外れようと、何故その予測は外れたのか?検証する材料になるためプラスにしか働かない。
唯一マイナス面があるとすれば外した事を周りからヤイヤイ言われる事くらいか…
(自分の予測の精度を上げたいのであれば、何も考えずに予測もしない奴らの言葉に耳を傾けてはいけない、彼らは無責任に言いたいことを言っているだけだから、予測をちゃんと立てている先輩がいるのならその人からなぜ外れたのか当たったのか聞いていればそれで良し!)
予測が当たったとしてもぬか喜びせずに何故予測が当たったのか検証を繰り返していく事はとても重要だ。
自然を捉える上で大切にしていること
感覚だけに頼らず、データを蓄積して、分析して、仮説を立てて、予測をして、検証をするという事
自然を捉えるときにやってはいけないこと
感覚(勘)というのはアテにはなるが、最終的には信用ならない
何故なら感覚というのは歳と共に鈍るものだし(そうならない人もいるよね)
その時々の心情や疲労感などで簡単に変化してしまうからだ。
ヒューマンファクター(人的なミス)を起こしたくないのなら感覚だけに頼らない判断基準、方法を確立しておくべきだ
最後に
今の自分の予測の範囲は
シーズンを通しての雪崩の傾向、ピンポイントな斜面タイミングの予測に変化してきている
それを出来るようになってきたのも、仮説を立て、検証を繰り返し新たな仮説を立ててきたからこそだと思っている。
自分が足元に及ばない、感覚だけで全てをこなせてしまう人が多くいらっしゃるという事実は自分もよく理解している
理解して欲しいのは感覚というのは人に引き継ぐ事が出来ないという事だ。
自分の代で積み上げてきたものをなき物にしたくないのであれば、感覚をデータとして残し、次の世代に言葉として伝えていく必要性があるのではないか…
捉えどころのない自然を捉えてきた先人達にこそ次の世代へ言葉で伝えて欲しいなと私は思う