山を隔てるもの(槍ヶ岳山荘小屋開け 10年から見えたもの)

槍ヶ岳山荘の小屋開けに入り出して10年が経った。
10年と言えば、上の娘が1歳から小学校5年生になってるんだから時の流れの早さにびっくりする。

槍ヶ岳山荘を通してこの10年を振り返ってみたいと思う
大きく変化したなと思うのは雪の量、この10年で雪は段々と少なくなっていることを感じる

今でも忘れない初年度の小屋開けの時に“正面玄関の屋根“まで雪に覆われて掘り出すのに苦労したことを

↑初年度の小屋開けの風景
今のところあの積雪を超える年には出会っていない、年による差はあるが稜線以下を見た時には全体的に雪が少なくなってきているように感じる

↑2022年の小屋明けの風景、この時が一番雪が少なかった。

それに伴い雪質や気温も変化しているのを感じるが10年というスパンで見るにはあまりにも短すぎるような気もするが確実に変化はしている。

槍ヶ岳山荘の小屋開けに入っていったキッカケ

私が小屋開けに入るようになったキッカケはある方が引退されたことにより
仕事がそっくりまわってきたことがキッカケとなっている

その方が受け持たれていた山の仕事がそのまま流れてきたような感じだ。

仕事としては、白馬尻小屋の小屋建てと終い、鑓温泉小屋の建てと終い
黒部渓谷鉄道の石落とし、下の廊下の登山道整備
そして槍ヶ岳山荘の小屋開け

この槍ヶ岳山荘の小屋開けだけは特別で、当時一緒に雪崩管理の仕事をしていたパートナー(現大天荘の支配人)に槍ヶ岳の小屋開けに参加してくれる人を探しているとの電話を目の前でやり取りしているのを聞いて、電話が切れた瞬間に「参加したいです」と告げたのが始まりだ。

山を隔てるもの

当時の自分の所属は大町市の遭難対策協議会で、夏山常駐パトロール隊は北アルプスの北部に所属していた。

大町班の守備範囲は鹿島槍〜槍ヶ岳の広範囲に渡り、前山は餓鬼岳までカバーをしている

その北は白馬班が構えていて、その更に北は小谷班がおり、各山の守備範囲というのがあり、信州山案内人の組合によって山ごとの遭難救助を受け持ったり、ガイドを業を行なったりしている(ガイドに関してはそれに限られない)

南を見ると有明、穂高、松本班があり槍から南は“南部直轄班“という組織が遭難救助を受け持っている。

稜線を越えれば、富山、新潟、岐阜と連なり、各県の守備範囲があり、組織があり、救助の仕方がある。

夏山常駐パトロール隊は北アルプスの南北に分かれており
北は栂池から〜槍ヶ岳までを見て、南は涸沢を中心として、槍ヶ岳の山頂から南と表銀座までを守備範囲としている。

県によって救助の体制も違えば、救助器具なども違ってくる

山の仕事で言えば、ガイド以外では自分の守備範囲で仕事を受けている人が多いように思う

県を跨いでとか、南北を越えてというのはあまりないように思う(無くはない)

山の仕事こそ信頼関係で成り立っているのでそうなるのも理解は出来る(どの業界でもそうか)山の向き合い方とかも県民や風土による違いがあるのでそういうのも影響しているのかもしれない

だからこそ槍と繋がった時は嬉しかった、自分の中で境界線を越えられた気がしたので

今では当たり前になったけど、遭難救助時の守備範囲を越えての救助活動は当時は御法度だったように思う。

今では人がいないこともあり、北アルプスの北部では班の守備範囲を越えての救助活動が行われている。
私は大町班に所属しているので、白馬は範囲外になるが、冬は八尾根スキー場に所属しているので、白馬でも救助に出れるように冬だけはパトロールという事で登録をしている。
今シーズンは小谷班の範疇、親沢の救助にも出動した、それは白馬乗鞍スキー場に所属して登録をしていたから。

めんどくさいけどシステムだけど、救助というシビアな現場で連携をして立ち回るには必要なシステムでもあるのかなと考える。それでも時代とともに少しずつ変化はしてきていると感じる

変わりゆく

槍ヶ岳に話を戻すと
この10年で大きく世代交代が進んだなと思う

名物の小屋番や生き字引的な方も多くの方々に会わなくなったように思う

それこそ、槍ヶ岳肩の小屋に自衛隊のヘリが墜落した瞬間を見ていた方も居なくなり、私の前任者の方の話題が小屋開けで上がることも無くなった。

少し寂しさを感じるとすると
“時代や世代の変わり目“に山の仕事に携わってきたなということを感じる

棟梁と呼ばれる方が居て、小屋や山の歴史を知る人たちが居て

その方たちと仕事を一緒にさせて頂いたこと、話を聞かせて頂いたことが今の自信につながっているし、その方々を見てきたことが自分の中で核になっている

先輩方を前に10年と言うとたった10年なんだけど
10年というのは物事を振り返るには区切りが良いし

自分の中では10年続けてこれたということに深い意味を感じる

特に今の若い子たちと見ていてそのことをより深く感じるのは

忍耐強く、一つの場所で長く続けるという子が少なくなったのもあるだろうし
何より、労働基準法により、働く時間が減ったことは大きな差があるだろうなと感じる

人の時間ではなく自然に合わせて働くスタイルが求められる山だからこそ、この差はものすごく大きくなって行くんだろうなと思う。

話は逸れるが権利を勝ち取って、働きたくても働けない時代を作ったのは若い君たちだと言うことは認識しておいた方がいいと思う。

10年色々とあったが
10年ていうと中堅どころかベテランの域に入ってきているんだろうなと感じる(それほど人がいない)

  

人は変われど、その年、その時々の記憶は燦然と輝き
頭の中に刻まれている

続ければ続けるほど語り部となってゆくのだろうか

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