人ならざるものと対話する者たち#1

ブログを書き始めてまもなく2年が経とうとしている
頻繁に更新しているわけではないけれど、その都度その都度、濃い内容を書き記すことが出来ているのかなと思う

ブログのスタートを思い返すと若林先生が「森山くんブログを書きたいから準備してくれ、二人でブログを書こう」という先生の言葉が始まりだった。

何故ブログのタイトルを雪崩と生きるにしたのか、は以下のブログを辿って頂きたいと思う

故:若林隆三先生「雪崩と生きる」

ブログのカバー写真に書き入れている
雪崩屋:若林隆三
雪崩探究者:森山建吾
のふたりごと という一文がとても気に入っていて
先生の書いた原稿をブログにアップしていた日々を懐かしく思い返します。

今では先生が旅立たれて、ふたりごとも独り言になってしまった。
ブログ自体を変更していくことも考えたが、先生が書かれた文章も後世に伝えて行きたいので
ブログ自体は残しつつコンセプトを変えていきたいと思う

今までは雪崩に特化した記事を書いてきた。
自分が描くものは雪崩の現場で感じたこと、見たことをあるがままに書き連ねて、
先生は雪崩を通して見た世界から学術的なことまで担当して頂いた。

これからは雪崩だけに留まらず、森山が生活の中で感じたこと
自然の捉え方などを交えてブログを書き進めていきたいと思う

その第一弾が「人ならざるものと対話する者たち」というタイトルで

2章(多分)に分けてお送りしたいと思う

この記事は3年前からずっと書きたいと思っていたが、ずっと書けずにいた話題だ。

なぜ?と問われたら、これを書くことで世間から批判されることを恐れたから
ただ近年の状況を考えると、そんなことを言ってられないくらい自然環境は物凄いスピードで変化をし続けている
経験則が通用しないくらいに

そんな状況を乗り越えていくためには新たな羅針盤が必要だと、このタイトルについて書くことを決心した。

この文を次世代を担う若者たちに捧げたいと思う

『人ならざるものと対話するもの』

あなたの人生で『人ならざるもの』と対話(会話)する人と出会ったことはありますか?
(ここで言う人ならざるものとは、人以外のもの、植物や動物、自然界にあるもの全てを指す)

ちょっと前だと動物と会話できる人がテレビで取り上げられたりしてブームになっていたりしていたので
あぁそういう生き物と会話できる特殊能力を持ち合わせた人もいるんだな〜というのが世間の反応だろうか

私もよくわからないけれど、特殊能力を持ち合わせている人がいるんだな〜と思ったのを覚えている

動物と対話するというのは何となく、理解やイメージ出来る人が多いのではないかと思う
犬で例えれば、「座れ、待て、お手」と指示を出せば犬は言うことを聞いてくれるので何だか通じ合っているような気になってしまう
でも果たしてそれは対話と言えるのだろうか?

犬に捧げた20代

このブログではあまり触れてこなかったが
実は結構犬が好きで、コーギーとボーダーコリーとジャーマンシェパードの3頭を飼っていた。(コーギーとボーダーは旅立ってしまった)
そのうちボーダーとはディスクドッグにのめり込み、
ジャーマンシェパードは山岳救助犬として、夏冬通して共に行方不明者の捜索に出動していた。

私の山や雪崩の入りは犬からなのである。

雪山トレーニングに救助犬のナナと小日向山に入ったのは懐かしい思い出だ、もう10年以上も前の話(許可申請諸々取っております)

20代前半は犬に全てを捧げて、救助犬の育成を本気で行っていたし、山や雪崩、犬の知識をスポンジのように吸収して、経験を積んでいった時期である。

同時にナナの1歳年上のボーダーコリーとディスクドッグを始めた時でもあり、ディスクという道具を通して犬と一緒に何かをやるというが楽しく、新たな技や遠投が決まった時に犬と心を通わせ合う時間が何とも心地良かった。

実はディスクドッグの世界では日本人は世界的にも強く
群馬県の赤城山の麓に居を構える、平井一族が世界でも軍を抜いている
https://youtu.be/FRXja6wZufI?si=gMDR6HbSELJrLv6o

↑の動画を是非見てもらいたい
2010年の世界大会の時の動画だ、俊介くんとshackにどれだけ憧れてこの動画を見まくったことか‥
10年以上の時が経った今も平井一族の力は勢いを増していて、先日開催されたヨーロッパの大会で
親父さんのYachiが優勝を飾っていた。(Yachiは何歳になられたんですか?素晴らしすぎる‥本当におめでとうございます)

当時は俊介くんに憧れてDOGTOWNの門を叩き、クラブに入会してディスクドッグに励んでいた。

その中で俊介くんは「世界のトッププレイヤーは犬と対話できる」と言っていた。
20代になりたての彼は既に犬と「対話」できると言っていた。

そうだよね、じゃなきゃあんなプレーは出来っこない(今はさらにプレーに磨きがかかっていて止まることを知らない)

沢山練習した先に初めて愛犬と出たディスクの大会で緊張と集中の先に
今まで感じたことのない繋がりを犬と感じた。
「犬と繋がった」その時に感じた感覚だ。

犬と対話する

その後、救助犬の育成が進み、現場に出動するようになり、ディスクへの足は遠退いてしまった。
この先救助犬ナナが旅立ってしまって、子供たちが落ち着いたらまたディスクをやりたいな〜と思っている。


救助犬の育成が進むと、1年を通して捜索の依頼が舞い込むようになってきた。
夏は行方不明者の捜索
冬は雪崩埋没者の捜索に呼ばれるようになり、救助犬ナナと一緒に色々な捜索現場へと足を運ぶようになった。

写真は初めて救助犬ナナと一緒に捜索に出た白馬大雪渓の現場
初めての現場で初めての大規模な雪崩を目の当たりにした私は言葉を失った。
自然の脅威と己の未熟さちっぽけさに…

様々な現場を経験した救助犬ナナと私はどんどんと絆を深めていった。

ある現場を境に犬とのコミュニケーションが飛躍したのを今でも覚えている

ある行方不明者の捜索にナナと出動した際に、行方不明者の最終目撃地点を起点に捜索を始めたが
ナナが一向に不明者の匂いをキャッチしないことに気がついた。
ナナは地面の匂いを嗅いではいるんだが、「嗅いでいるフリをしているだけでこれは探していないな」とナナの素振りから感じ取ることができた。

(犬の捜索の方法は、行方不明者の衣服などの匂いを嗅がせて匂いを覚えさせ、断片的に落ちている不明者の匂いを嗅ぎ出して道筋を作っていく。通常行方不明になった日から日が浅いほど匂いは強く残っているが、日を増すごとに匂いは薄れていってしまう。雪崩埋没の行方不明者を探す場合は埋没者の体温に乗って体臭が雪の隙間を縫って雪面へと上がってくる。雪の隙間を縫って雪面に上がってくるため、ピンポイントで絞ることは条件次第で難しいが、アタリをつけることはできる)

捜索を続けても拉致が開かないため「こちらにはいない可能性が高い」ということを伝えて、場所を変えて足取りを追わせることにした。
行方不明から日が経過していたため匂いは薄れていて、最初は曖昧な反応を示していたが、ポイントによっては強く匂いが残っているみたいでナナの反応からそれがまじまじと伝わってきた。
分岐点などに差し掛かると匂いをロストすることもあったが、周囲をくまなく探させることで強く匂いが残っている場所ではそれなりの反応を見せてどんどんとポイントを絞り込むことが出来ていった。
道中探すフリをして誤魔化すような反応を示すこともあったが、「これは誤魔化しているんだな」というのが伝わってきた。

最終的に匂いを辿りポイントが絞り込めてきた時に完全に匂いをロストしたらしく、狼狽えるナナがそこにはいた。
一本道で、両側から捜索をし直しても明らかに匂いが途切れたような反応をナナは示していた。

匂いが途切れた先にあったのは川
夕闇が迫っていることもあり、「この川の付近で匂いが途絶えています」と伝えて救助犬での捜索は終了することとなった。

翌日、行方不明者はその川の遥か下流で帰らぬ人として発見されることとなった。

あの捜索での感覚では今でも忘れることは出来ない
ナナは明らかに匂いがない場所では「匂いがないよ」という行動で私に伝えて、
匂いを拾っている場合はそれを示し、匂いを掴んでいないのに掴んでいるフリをして誤魔化しているということも見えてしまった。

強引に言うならあの瞬間に一方的ではなく、犬と対話していることを実感した。
「これが俊介くんが言っていた犬と対話するということか!やっと犬と通じる(繋がる)ことが出来た。」
そんな感覚が私の中に込み上げてきた。

その感覚を得てからは、ナナとは現場に出れば対話できるようになっていったと思う

ここで言う対話は人間の言語を操り会話をするということではない

ナナと寝食を共にして、長年捜索現場に出続けることで、犬の行動や反射から何を考えているか読み取れるようになったということ
(もしかしたら俊介くんは人間の言語で会話するように犬と対話しているのかもしれないが‥)

動物というのはこちらが行動や反応を起こすことでそれに対して反応や行動を示してくれるため、コミュニケーションとしては比較的にわかりやすい(通じやすい)部類にいるのかなと思う
テレビやネットでも動物と心通わす人たちの映像は誰しもが1度は見たことがあるはずだ。

救助犬と一瞬でも通じることが出来た自分も、それは程度の違いはあれどそんなに難しいことではないんだろうな、と考える

 

「人ならざるものと対話するものたち」の第一章はこんなところにしておきたいと思う

次回は20代を終えて30代に突入した私の前に突如として現れた

「植物の声が聞こえる」

「木や雪、雪崩の声が聞こえる」

と言った人たちの真髄に迫っていきたいと思う

人ならざるの真髄は分かりやすく反応を示してくれる動物たちではないのである
自然界に悠然とある植物や木、形取らない雪や雪崩そんなものと対話することが出来るのだろうか

 

だんだんと怪しくなってきたな〜

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