FWT HAKUBA に賭けた想い

FWT HAKUBA フリーライドワールドツアー

少し前の話になるがFWTについて書いておきたい事がある。

2017年から日本に上陸したFWT。
FWTとは自然のままの地形を滑り、そのテクニックやスタイルを競うフリーライドの世界一を決める大会

FWTが白馬で始まった当時は栂池高原スキー場で雪崩管理の仕事をしていて、山で行われる大会の雪崩管理に入りたいなと強く思ったのを今でも覚えている。

日本で爆薬を取り扱うというのはとても難しく、大変な事だ。
まず国家資格である火薬取扱責任者が1事業所に対して3人必要で、どこで何のためにいつからいつまでなど事細かく消費計画を立てて、消防、警察を始め、色々な許可のもと取扱が行えるようになる。
使用に関しても法でがんじがらめになっているので簡単に取り扱う事はできない。
それはそうだ。
爆薬を取り扱うわけだから一歩間違えれば大事故になりかねないし
何かを間違えればテロだって起こせてしまうわけだから簡単に取り扱える訳が無い。

活躍の場の変化

当時のスキー場はとにかく勢いがあった、JAPOWと言って世界各国から日本の雪を求めて滑り手が日本に集まっていた。
世界の名だたるスキーヤー、スノーボーダーが白馬に集結し、世界に向けて日本の魅力を発信してくれていた。

世界の滑り手が日本に集まる事で日本のスキー場もインバウンド政策として、次の一手を考えるようになっていたように思う。

私はこれ以上のチャンスは無い、と想いを募らせるようになった。
そして2019シーズンからフリーライドスキーエリア「おむすび」をオープンさせる
という噂の流れていた八方尾根スキー場の門を叩く事にした。

ある野望を秘めて、、、

想いは国立公園内での爆薬を使用しての雪崩管理へ

1年目の八方尾根スキー場での雪崩管理は本当に辛かったなぁ〜と今でも記憶している。
私の雪崩管理の始まりは爆薬から入っているので、爆薬を使用できない中での雪崩管理

サーチ&レスキューのスキルの無い人たちとの仕事

あの当時は「やるっきゃない!死んだら私はそれまでの人間だ」と思って毎日を過ごしていたように思う
(八方の人達を馬鹿にしているわけではない。今ではAvSAR Advancedを全員が受講している世界有数のパトロール隊になっている)

栂池ではエリート達に囲まれていたので、その環境から飛び出した自分のスキルの低さにもガッカリしたし、仲間に助けられていたんだなぁというのを思い知らされた。

1年目は小雪にも助けられ、「おむすび」のオープンは怪我人が出ることもなく成功に導けたのではないかと思う。

八方1年目の終わりから私は動き出した。
どうしても2年目から雪崩管理に爆薬を導入したかったのだ。
FWTが4年契約で、翌年が最後の年だと知っていたのでどうしても爆薬の導入を間に合わせたかった…

色々なプレゼン資料を作り、会社に提出し、今使用している煙火ACEに比較しての爆薬の有効性や費用対効果などを示した。
ACEに比べて爆薬の方が長い目で見た時のランニングコストは安い(使用頻度にもよるが)。

パトロール隊長のご尽力もあり、爆薬の導入が決まったのは夏頃。

私は飛んで喜んだ!爆薬を手土産にFWTの雪崩管理に行くのだと・・・

FWT雪崩管理

前述した通り、爆薬を使用するという事は簡単ではない。
それが国立公園ともなれば尚の事、前例が無いのでハードルは雲を掴むが如く高かったように思う。

爆薬と聞いただけでアレルギーを指し示す人は多く、説明のために縦横無尽に奔走したと記憶している。

そしてパトロール隊長始め、観光局次長、FWTを支えてきたスタッフの皆様のおかげで念願叶い無事許可がおりた!

営林署・環境省から爆薬使用の許可がおりた時には本当に飛び退いた…
絶対に無理だと思っていたので…

FWTが日本で初めて開催された時に雪崩管理に入りたいと思った事が実現したんだなぁとしみじみと思った。

細かい管理の話は端折るが。

FWTの雪崩管理を終えた時に「これで何かが変わる!」という実感が私の中に沸々と湧いてきた。
写真は雪崩管理を終え、破断面を見つめる私。
遂に夢は実現したんだなぁ〜と浸っているところをパートナーが撮ってくれた。

FWTに賭けた想い


大会当日、子供の頃から憧れたスーパースター タナーホールとスタートで記念撮影をする私。
自分が管理した斜面を憧れのスターが滑る!
私はここまでこれたんだなぁと心から笑みがこぼれた。

私がFWTの雪崩管理に入りたかったのには理由がある

当時の白馬のスキー場はインバウンド政策に燃えていたし、何より勢いがあった。

当時はスキー場外を開けていこうという気運が確実にあった。
それに付随して、索道新設の話もチラホラ聞こえ始めていた。

将来性を考えた時に「国立公園で爆薬を使用した」と言う実績が必要だと私は考えていた。

実績なしにスキー場外の開放、索道の新設は成せないと当時は考えていた。

そのためには国、県、村を上げて開催しているFWTの雪崩管理に入るのが一番だと考えた。

このチャンスを絶対に逃してはならない!
この実績は業界全体の将来のためになると確信していた。
だから八方尾根スキー場の門を叩き、爆薬を導入する必要があった。

一事業所に爆薬を導入しない事にはFWTで爆薬を使用するというのは夢のまた夢だったから・・・

コロナに負けた

FWTでの雪崩管理の実績を元に話は始まった。

スキー場外の開放も「やるぞ!」の「やるまでいった所で世界中にコロナウイルスが蔓延した。

全ては泡のように弾けて消えてしまった…

今思うのは、あと1年早く行動を起こせていたらもしかしたら何か変わっていたのかもしれない…
そういう悪夢に囚われる事が今でもある。

結局のところ私では役不足で成し遂げる事は出来なかった…

なぜこの話を書こうと思ったか

多くの人に知って貰いたかったからだ。

私のやった事はただの独りよがりの事だったのだろうか?
自分の実績になっている部分は多分にある。
それでも私は育てて貰ったスキー業界に自分が出来る事で恩返しがしたかった。

結局は失敗したが、次を担う子達のためには長野オリンピックでも成し得なかった「国立公園内で爆薬を使用して雪崩管理を行い、選手を滑らせた。」と言う実績は作れた。
次に何かがある時には少しは役には立つだろう。

 

今日現在、日本では雪崩管理者・スキーパトロールという職業はどこも担い手不足を嘆いている。

関係のメディアには滑り手(ライダー、ガイド)が賑わい、華やかに脚光を浴びている。
本当にそれでいいのだろうか?
私はこの話をメーカーや雑誌関係の人に話をしてきたが、終ぞ取り上げられる事は無かった。

スキー場の担い手不足は深刻でどのスキー場であっても雪崩管理は大概数人もしくは1人のスペシャリストによって保たれている。
そんな現状を目の当たりにする度、いつも思う。
怪我をしたら、病気になったら、死んだらどうするのだろうか?

そしてコロナの煽りを受けてスキー場管理の担い手達は安く買い叩かれている。
誰がこの状況を担っていきたいと思うのだろうか?

今のこの現状では若い子達に夢を魅せてあげる事は出来ない。

予測

いずれ遠くない未来にアフターコロナ時代はやってくるだろう。
スキー場が勢いを取り戻し、雪不足を懸念して標高が上がって行く事は想像出来る。
その頃には私を含め、それに対応出来る雪崩管理者は1人もいないだろう。

若手を育てるには今が最後のチャンスだと思う。
山の管理に対応できる人材を育て上げるには何年も時間がかかってしまう。

私の気力があるうちに取り掛かりたいとは思うが、それは私1人で到底出来る事では無い。
業界全体で考えていかなければならない問題ではないのだろうか。

FWT HAKUBA に賭けた想い” に対して1件のコメントがあります。

  1. 後藤 値佳子 より:

    応援してます。
    FWTの安全管理の事、どうなんだろうと思ってました。ので、勉強になりました。これからも見守ってます。
    (第一回白馬見に行ってました)

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