白馬雪崩の学び舎
新たな取り組みが始めます。
その名も『白馬雪崩の学び舎』
雪崩には各地域での特性があり、地域間での雪崩の共有ができる場
地域の雪崩を学ぶ場が必要ではないか?と考え学び舎の考えに至りました。
学び舎についての考えは専用ページに書いたのでそちらをご覧ください。
https://forestmountain.blog/雪崩の寺子屋/
雪崩管理を続ける事で見えてきたもの
通説には当てはまらない雪崩もあるのではないか…
それがこのブログでも若林先生が書かれている地吹雪雪崩でもあるのだが。
通説で全てが通用するのであれば、既存の講習会、講演会、書籍などで事足りるはずだ
それでも現場で見ている現象は当てはまらない事も多く、説明がつかない事象もある
雪崩を教えて欲しいと言われるようになってきたから今回の学び舎の活動を始めようと思うに至った。
繰り返すが既存の雪崩学で事足りるなら現場で疑問は湧いてこないし、雪崩を教えてくれという声も上がらないだろう
学びを深めるためには1人ではなく、複数人で地域で
雪崩という自然現象を相手にしているので、1人で見る雪崩には限界がある。
雪崩管理としていても降雪の度に雪崩を見るという事はなく、一定の条件下でしか雪崩は発生しない
雪崩を見たところから検証が始まって、仮説を立てる
例えば20cmの降雪があって雪崩が発生したとする。
降雪前後の気温は何度で、降雪強度、密度、風向風速、日射、破断強度(誘発要因)などの情報を収集してその雪崩をAとする
次に発生した雪崩を情報を集めてBとして A と比較して何が違うのか?検証して新たな仮説を立て…
そんな事をただひたすらに繰り返していると雪崩の正体が見えてくるんだけど…
冬というのはあまりにも短く、雪崩があまり発生しないシーズンもあれば、沢山見れる年もある
局所的に雪崩発生が多い場所もあれば少ない場所もある
じゃあその違いはどこにあるのか?って考えると1人でやると1ヶ所に止まっているのでその場所の情報しか得る事が出来ない。
だからこそみんなで学ぶ必要があり、みんなで検証していく必要があるのではないかと私は思う、地域でね
そういうシステムは確かにあるが、そうではなくて、それぞれのフィールドで得た情報を共有する場所が必要だと思う
スキーパトロールにはスキーパトロールの視点があり
ガイドにはガイドのライダーにはライダーの視点がある
それぞれの知見を語り、共有する事が出来たなら、地域でより良いものを作り上げていく事ができるはずだ。
そのためにはまず歴史を知ることから
今私たちが白馬という地域で山に入り滑る事を楽しむ事が出来ているのならそれはまず間違いなく
先人達の行いがあったからだ。
山は神聖な場所で、スキーで山に入るなんてタブーだった時代もあるはずだ、今と違って道具も限られ、今みたいに確立されてはいない、そんな時代の先駆者達の話に耳を傾ける事は次の世代を担う私たちの役目ではないだろうか
昔の人は雪崩という現象が解明されるまでは天災と捉え、いくつもの大きな雪玉が襲いかかってくるものだと思っていた。
雪崩という現象を人によって研究され始めた理由をご存知だろうか?
第1次世界大戦中、当時の航空技術ではヨーロッパアルプスを飛行機が越える事が出来なかったため、相手の領地にかかる山に大砲を撃ち込むことで雪崩を発生させ攻撃をしていた。
そのお話を先生から聞いた時に震えた。
雪崩ビーコンがディスプレイ表示になっていったキッカケをご存知だろうか?
当時のビーコンと言えばシングルアンテナのアナログビーコンで音の強弱で探すというのが主流であった
そんななか、国産初の雪崩ビーコンアルペンビーコン1500が発売された(若林先生も開発に携わった)
当時の雪崩管理者と言えば世界的には軍人が多く、大砲を使用して雪崩管理などを行っていた関係で、耳の悪い人が多かったらしく、ビーコン捜索時にアナログ音を聞き分ける事は困難を極めた
それを知っていた先生はアナログ音だけではなく、LEDライトを用いて電波の受信強度を視覚でも分かるようなギミックを盛り込んだビーコンの開発を提案した。
アルペンビーコンが出来てからはそれをお土産に各国の講習会を渡り歩いた時に世界でも国産ビーコンが認められ、視認性の的確さにディスプレイ表示へとビーコンの開発が切り替わっていったと先生は教えてくださった。
この話を聞いた時に私はまた震えた。
「白馬岳主稜はスキーを持って登るところだ」
そう言われた時になんとも言えない敗北感に苛まれた
私が生まれるずっと前、スキーや道具も今みたいに軽いものはない時代に山に入りスキー登山を実践されていた降籏さん、数々の輝かしい開拓者の話に心が躍った。
白馬周辺の山のみならず、南米のパタゴニア、ヒマラヤなどの高所登山、ヨーロッパオートルート
ここには全て書ききる事が出来ない、山行記録
今回、「第1回白馬雪崩の学び舎」で話をして頂くために当時の写真はありませんか?と聞いたら
当時の写真は残ってない、無いわけではないが、当時のカメラ機材は重たく、持ち歩くのが大変で、登山に持っていく選択肢には入らなかった、写真などの記録に残すために山を登ってはいなかった。自分の記録や挑戦のために山に登っていたという話を聞いて震えた。
今とは一味も二味も違う時代を生き抜いてきた先人達の言葉は心に突き刺さる、激動の時代を歩んだ人達の語られる言葉には重みがある。
今こそ温故知新を
現場に居て常々思う事がある
現場にずっと出続けて生き抜いた人こそ本物であると…
そんな先人達の話に耳を傾けてみませんか?
先人達の話を聞けるチャンスはこの先どれだけあるのだろうか
ふるきを訪ねて新きを知る
だからこの地にいる私達はまず始めに歴史を知る必要があるのでは無いかと思うのです
先人達に敬意を評して、そういう気持ちを地域でこそ大切にしていきたいよね。