里山から感じる変化、人から獣へ恐怖の対象の変化、凶暴化する獣

山菜取りから見る自然

山菜取りってされますか?
自分は親が山菜取りをしていたおかげか
山奥に住んでいたせいか

子供の頃から山菜取りをしていました。

山菜を食べること自体が好きなわけではなく
山に入り、夢中になって山菜を探したり、道なきみちを突き進んで
山の中の山菜畑を開拓するのが最高に楽しいんですよね

子供の頃と言えば、山菜を採ってきたら大人が喜んでくれるので夢中で山菜取りをしていたように思います。

長野県の北、斑尾高原というところに住んでおり、自然が豊かで、遊び相手は自然といった感じのところでした。

当時は小学生ながらに1人で山に入り探索をしては山菜取りを楽しんでいたように思います。

思い返してみるとあの頃は山に入る人は多かったな〜と思うんですよ。

山に入ることで何が怖い?と聞かれたら
当時は野生動物より、人が怖かったですね(野生動物のことなど考えたことは無かった)
山菜採る人って目が血走ってるんだもん

人の気配に感じる恐怖

そんな少年時代を過ごしていたので
山菜を取るというのは自分の中で生活の一部となっていきました。

今までは生活環境の近くでしか山に入ってこなかったのが、車という移動手段を手に入れたことで行動範囲が広がっていきました。

長いこと山菜取りをしていると固有の山菜がどういった条件下で育っているかが
読めるようになってくるんですよね

そうなると新たな畑を開拓したくなるもので
地形図を見ては既に持っている山菜畑と見比べて、地形や条件を考えてここなら畑があるだろうなと当たりをつけて、山に入るわけです。

もちろん、外す時もあれば畑を見つけることも多々あり
山菜畑を見つけた時の喜びと言えば何にも変え難いものがありました。

山菜を見つければ食べていけるわけですから
野菜が作れなかったとしても山に畑があれば生きていけるじゃないですか

山を開拓する時は山の奥地に踏み込むわけですが、こんなところに誰もいないよな〜
と思って山に入るんですが、山奥であろうと誰もいないだろうな〜って思った場所でさえも人工物(砂防ダムなど)があったり、ゴミが落ちていたり…
なんでこんなところに!?と思うのですが

人が居ない山奥に人工物を見つけると恐怖を抱くんですよね
人の執念というか、欲みたいなところに

もっと怖いのは
山で山菜取りに入っている時に人に出くわすのが一番恐ろしい
なぜなら、山菜採りに入っている人たちは目が血走っている人が大半で
多くの人は畑を知られたくない一心で山に入っているため、人に会いたくない
それは私も同じ気持ちなので、山菜取りで山に入る時は人に会うのが恐怖なんですよね
(悪い人ばかりではないが、業者には会いたくない)

一番驚いたのは
近所で杖をつき、足を引きずりながら歩いてる方を山で見かけた時だろうか…
その時は松茸採りだったが、人の執念というか欲の強さに感動を覚えるとともに恐怖を感じた。

山に入れば自然と向き合っている気になっているので人に恐怖を感じるというのもあるかもしれません。

里山の荒廃、自然回帰?

それがコロナ禍に入ってからか?
山で人を見かけることが少なくなってきました。

山の畑って誰かと共有していることが多く、人に会わずとも
収穫している様子で、人の気配を感じるのですが

それが3年前から少しずつ人の気配を感じなくなって来てはいました。
それが今年に入ってからはもうめっきり気配は感じずに、山菜が収穫されることもなく
のびのびと育っていました。

自分が山で会う層というのは年配の方が多く
それこそ自分と同じで子供の頃から山に入って来た人たちが多いように思う

山で若い子たちに会うのは稀で自分は1度も出くわしたことがない(山域的に会ったことがないだけでいるにはいると思う)

ご近所に山菜を配っても、大変に喜ばれて、自分も昔はどこどこに山菜を採りに行き〜
と武勇伝が始まり、今はもう山に入らなくなってしまったと話が終わるのが流れだろうか

コロナが拍車をかけたのは間違いないだろう
あれだけ熱心に山に入っていた層が山に入らなくなってしまった。

そうなってくると山は荒廃が進んでくる
かつて有った山道、山菜道は消滅の一途を辿っている

人が歩くことで抑制されていた植物が繁栄し
道は塞がれていく

残念なのは古道が消滅していくことだろうか

かつて栄えた、峠道も、子供達が山を越えるためにあった通学路も
今は道すらわからない状態になっているところがほとんどだと思う

メジャールートならいざ知らず、その辺の里山にも
いくつもの山道が刻まれて、昔の生活の営みを感じることができた。

見方を変えれば、荒廃は自然回帰ともとることが出来るため
悪いことではないのだろう

増加する野生動物たち

山で獣に出くわしたことってありますか?

私は何度かあって、クマはしょっちゅう出くわすし
猪の一群やサルの軍団に出くわしたこともあります。
ニホンジカは最近じゃ山菜を採りに入れば絶対に出くわしていますね(彼らは本当に増えすぎている)

もう10年も前の映像になりますが
NHKの映像をぜひ見てみてください

ニホンジカの増加の要因の一つとして
塩カルが含まれているとは、雪国に暮らす我々としては無視できない話題ではありますよね

長野県の データを見ていると個体数はこの頃から変化してはいないみたいですが、計画的に数万頭に渡る駆除が行われているのもその要因の一つかもしれません。

これもコロナ前までのデータのため現場がどうなっているかはわからない部分があります。

山で見ていて感じるのは生息域が変化して来ているのは明確に感じています。

写真を見つけることはできませんでしたが、6〜7年前に北アルプス北部、杓子沢でニホンジカの群れを見かけた時は衝撃を受けました。
南アルプスからニホンジカが来るぞと言われていた第一派を見たわけですから…

今じゃ北アルプスで鹿を見るのは当たり前になってしまいましたが
冬に弱いと言われていたニホンジカが冬の白馬で見かけるようになった。
野生動物たちも人間以上に環境に適応してきていることを感じる

凶暴化する獣

今年に入ってよく耳にするのが獣(特にクマ)に人が襲われたニュース
身近なところではバックカントリースキー中に猪に襲われたり(今年ではない)だとか
色々なニュースも飛び込んできますが、ここ数年で獣に襲われる事件が全国的に増えていることを実感します。

凶暴化する要因を考える

ここでは山菜取りの現場で感じていることを書いていきます。

変化を明確に感じたのはコロナ禍に入ってから
人が里山に入らなくなったことで里山の荒廃が進んだ辺りから、山の気配が変わったなと感じていました。

今までは明らかに人の領域(全てとは思っていない)であった里山が獣の領域になったなと
山道も人がつけた道ではなく、獣道へと変化してきているし
里山に限らずに今まで獣を見かけなかった場所で彼らを見かけるようになった。

ではなぜ凶暴化してきたのか?

ここからは私の完全に主観の話になります(いままでもか…笑

動物って何を見ていると思いますか?
私は人の“気(気配、オーラ)を見てると思います。
この辺りは山岳救助犬育成時代に犬を通して学んだことなんですが
彼らは“気“を見ています。

弱々しい気を出せば、彼らは言うことを聞かないし
言うことを効かせようと気を張れば彼らは受け入れてくれるし、気押すこともできる

では野生動物はどうか?というと気しか見てないでしょうね。それこそ野生に生きているのだから(嗅覚、視覚、聴覚を使っているのはもちろん)

山で野生動物に出くわしたことはありますか?

私はクマにも猪の群れにも猿の群れにも出くわしたことがあります。

その度にどうしているか言うと

「気圧されないようにこっちに来たらぶっ殺すぞ‼️」というオーラを毛穴全体から滲み出します。

時には、持っているナイフやナタを構えたり(武器なしで山に入るなど恐ろしい)
武器になりそうな枝を拾って構えたり、追いかけて追い払うこともあります。

そうすると獣は退いてくれるんですよ(今のところは

アホだなって思いますか?

私からしたらその積み重ねが今に繋がってるんじゃないの??と思います。

獣からしたら人は怖い対象ではなくなってしまった。

チンピラで例えてみましょう(何その例え笑

街中を闊歩して、向こうから来た人にメンチ切って相手が怯んだらあなたはどう思いますか?
おっ、こいつ弱えなって思いませんか?

山でも同じことが起きてると私は思います。

獣に出会うたびに彼らを脅していますか?人は怖いんだぞ!!って
一番やってはいけないのは彼らに出くわした時に、恐れ慄くことです。

大概の人は獣に出くわしたら退いてしまうのではないでしょうか
その積み重ねが今に繋がっていると私は思います。

ある意味チャンスの時代

話は山菜に戻りますが
獣が凶暴化して、山菜取りをされていた方々がどんどんと引退されていく中で
これから山菜ビジネス市場は伸びていくんだろうなと思います。

山菜を採りにいく人がいないわけですから

この状態が進行していくのであれば、山菜取りも命懸けになっていくので
価値はより高まっていくでしょうね

その中で山で働きたい子達にとってはチャンスが到来してきているのではないかと私は思います。

一昔前と違って山に入るには獣に限らず、蜂やヘビ、マダニなどの危険性も増加していっていますが…

里山を守るためにもそこの若い方いっちょ山菜取りに出かけてみませんか?
GWともなれば高額で山菜が取引できて、山に畑さえ手に入れれば1時間でアルバイトの日当くらいは余裕で稼げちゃいますよ

何を相手にしているのか?

今日の話題は雪崩と関係ないじゃんと怒られてしまいそうですが
それが大いに関係あるのですよ!

何を相手にしているのか?と言うのがものすごく重要で
“雪崩も自然現象“の一つなわけですから、相手にしているのは自然なわけです。

色々な側面から自然を見て、自然を捉えると言うことはとても重要なことだと考えます。

逆を言えばそういう価値観を持って山に入り、雪崩を見ていると理解して頂けたら嬉しいです。

天候だけではなく、自然環境、それに伴う植生や生態系も変化してきているわけですから

生態系の変化で言うのであれば
現代の人間は狩る側から狩られる側に変化してきているのだろうなと感じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA